俯瞰してみるための心と身体

先日、かつて共に気功を学んでいた私の良い友人が「今年のテーマは俯瞰すだ」と言っておりました。

 

物事を俯瞰することはとても素晴らしいことです。

広く高い視点から物事を見渡すことですね。それを私たちは高い抽象度と言います。


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高い抽象度を持つには、物事を多角的に見てより多くの情報を統合して捉える能力が必要です。それをIQといいます。

 

物事を俯瞰する時に一番に邪魔になるのは、「自分」です。もっと限定的に言えば、自分の情動ですね。

 

不安、恐怖、嫉妬、焦り、悲しみや怒りなど、快不快を伴うような感情的興奮のことです。

 

情動は人間には必ず生理的に沸き起こるものですが、私たちの悩みや苦しみは常にこの情動と深く結び付いています。物事を俯瞰しようとしても、情動が発火した途端にあっという間に抽象度が下がってしまうのが私たちの常です。

 

そして情動に任せて行動してしまいます。暴走したり、萎縮したり、破壊的になったり、舞い上がって地に足がつかなくなります。自分が情動に支配されていることにさえ気づくことがなかったりします。

 

情動とはそういうものです。私たちが無自覚に情動に振り回されてしまうことをまずはよく理解しておきましょう。

 

でも情動が悪いという訳ではありません。情動というものがなければ生きることは本当につまらなく味気のないものになってしまうでしょう。例えば、情動を誘わない映画をみることを想像してみてください。そんな映画に価値があるでしょうか。波乱万丈の出来事が満載されていて、観る人の情動をさそうから映画は面白いし、観ている人に感動を与えることが出来ます。


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俯瞰するには、このように映画を観るかのように現実や人生を眺める視点が必要になります。情動はすべて人生というストーリーを楽しませるアトラクションにすぎません。

 

しかし、このことを深いレベルで理解するのは実はなかなか簡単なことではありません。私たちはついつい情動の誘いに乗ってしまいます。

 

では、それに対して私たちは何ができるのか。

 

それは身体に対して投資をすることです。ここでいう投資とは、高いサプリメントや化粧品を買ったりする事ではありません。

 

身体の感性を磨くという意味です。

 

身体を使うパフォーマンスやワークを丁寧に学んでみることです。私の場合は気功ですが、ヨガやダンス、武術などでも良いでしょう。

 

身体の感覚を意識にあげる作業の積み重ねが身体の感性を豊かにしていきます。洗練されていきます。

 

身体が洗練されればされるほど、身体のあらゆることを意識にあげることができるようになります。あらゆることが認識できるとは、つまり身体のIQ が上がるということです。

 

こうして洗練された身体の感覚が育つと、同時にそれは心の感性も磨かれることを意味します。つまり、身体のIQと心のIQは同時に上がるのです。


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心身一如の言葉どおり、心と身体は地続きだからです。

 

情動が発火しているとき同時に身体性をともなっていることに気づいていらっしゃるでしょうか。怒り心頭、腸が煮えくり返る、断腸の想い、心が凍りつく、心が踊る‥ 情動と身体性が一つであることを示す表現はいくらでもあります。

 

身体の感性が上がると、こうした情動の変化に伴う身体の感覚に敏感になります。身体の感覚に気づくということは、同時に心の変化も意識にあげられるということです。

 

心身のIQが上がり感性が磨かれると、情動の発火の瞬間や情動に引きずられる自分などに気づけるセンスが身につきます。

 

すると情動というものに距離をおいて観察する余裕が生まれます。

 

情動とは何かを理解し一歩距離をおいて眺めることができれば、情動の嵐に対しても冷静に対処できるでしょう。

 

情動とは、生理的な現象であり、人生に味付けをするスパイスです。それ以上でも以下でもありません。

 

そして情動に振り回されないだけの心と身体を作っていけば、人生を心から楽しむことが出来ます。

 

 

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