どんな自分でありたいのか、それにholdし続けることです

長引く苦境の中にいるとき、私たちは生きることがあまりに厳しく辛いことに圧倒されます。欲望と情動の嵐に翻弄される時には、生きることのどろどろとした生々しい手触りを感じます。自分自身に絶望するのです。

 

そして「死にたい」と衝動的に思うのです。

 

生きる限りは続いていく辛さや痛み、苦しみをもう味わいたくないという心の叫びが湧いてきます。

 

実際に死を選ぶ方もいます。

 

自ら死を選ぶことについて様々な捉え方があると思いますが、私は人生における一つの選択肢だと思っています。それくらい、生きることは命がけであり、大変なことだと思うからです。


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私たちは物理的に生きているのではありません。心で生きています。物理的にどんなに環境が恵まれていても、それを味わい体験するのは心なのです。

私たちを満たし、突き動かし、生かしているのは心です。

 

ですから飢餓とか戦争とか災害とか、物理的な生命の危機に直面したことがなくても、精神的な生命の危機に直面することは誰にもあると思います。

 

それは至極当然なことで、なぜなら生きるとは苦しみだからです。

おそらく

自分の命や人生を真剣に生きようとすればするほど苦しみは大きいのです。


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しかし、自分に絶望しているとき、苦しみや痛みに圧倒されているとき、その闇が深ければ深いほど本当は私たちは心の奥底では自分を信じているのです。自分はこんなもんじゃないとよくよく知っているのです。だからこそ絶望します。

 

絶望の深さは高いエフィカシーの裏返しですよと、私はよくクライアントさんに申し上げます。

 

死にたい!と思った時に物理的な死を選ばないのなら自分の希望や理想を捨ててはいけません。

 

希望や理想や望みはどんなことでも構わないのです。小さなことでもそれが自分が本当に自分が望むことならそれでよいのです。でも、そういったものを見捨てたり、見放したりすることは、生きながら精神的には死を選ぶことに値します。

 

絶望やどん底は悪いことではありません。どんな自分でありたいのかを見つめ直し洗練させることのできるチャンスです。

絶望しているときこそ、どんな自分でありたいのかという希望はおそらく強烈にあなたに迫ってくるはずです。

 

だからこそ人は死にたいと思っても死なない、死ねないのだと思います。死にたいという衝動は生きたいという強烈な欲求なのです。


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どんな自分でありたいのか、それを丁寧に洗練させればいいのです。その希望を味わい、手にとって吟味し、必要のないものは削ぎ落とし、本当に望むことだけを丁寧に丁寧に見つめなおします。

 

そしてそこにholdします。しがみつくのです。

絶望のどん底にあるとき、身体と心は疲れきっていることでしょう。あなたにできることはほとんどないかもしれません。でも、必死にholdするのです。 

 

そうすれば必ずそこから移動していくことができます。そしてそれは決して難しいことではないのです。


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